いきがい大学伊奈学園21期地域創造科・課題学習グループ《9名(男性5名・女性4名)》
グループ名《童夢(どうむ)21》を結成しました。課題学習での成果を礎として、卒業後は地域の戻ってボランティア活動を取り組んで行こうと皆の意見が一致しました。
課題学習テーマ : 私の町が好きになるーふる里の歌・民話を通した地域活性化ボランティア
ボランティア活動を卒業後と思っていたが、3回の公演の機会に恵まれてメンバー喜んでいます。
課題学習の内容
上尾の春日神社の『しょうつかの婆さん』を見学に行ってきました。当日は春日神社の祈年祭(きねんさい)が行われていました。八枝神社の宮司(福田文彦)さんが祝詞をあげて下さいました。『祈年祭』とはその年の稲の豊作を神に祈る祭儀で、「年祈(としご)いの祭り」とも呼ばれています。神前で祭儀を行い、終了後 宮司さんからお話を頂きました。震災の後で祭りや祭儀の中止が相次いでいますが、そういう時こそ実施が必要で有ると説いていました。震災にあわれて亡くなった方のご冥福を祈り、一日も早い復興を祈っています。
『しょうつかの婆さん』の石像は春日神社の南側にありました。ぽつんと石造のお婆さんが座っています。やや愛嬌があるが一応怖い顔をし、はだけた胸にはしなびた二つの乳がぶらさがり、片手に衣の端を握り締めています。しょうつかのと言うのは「葬頭河(そうずか)」のことです。葬頭河とは、死んだ人が初七日に渡ると言われている三途の川のことです。この婆さんは、三途の川の畔に座り込んでいるので「そうずかの婆さん」と呼ばれる。この川を渡ってくる亡者の衣を奪う婆、つまり「奪衣婆」とも呼ばれる。婆さんは、剥ぎ取った衣を近くの領衣樹という樹の上にいる爺さんに渡します。この爺さんとは夫婦らしく、その衣を受け取るとこれを自分の座り込んでいるこの枝にかけます。もし枝のたわみが大きければ、亡者の罪は重く、少なければ罪も軽いと判定を下します。私も地元で春日神社は知っていますが、『しょうつかの婆さん』の石造は初めて見ました。いかに近所でも知らない事が多いです。
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