休憩を挟んで第二部の講演として五木寛之さんによる「いまを生きる力」と題して講演があった。以下聞き取った講演内容の一部をご紹介する。一昨年登録された常用漢字の中に「鬱」を始めとした暗い文字が多い。これは世相を反映したもので、これからは誰しも「鬱」を抱えながら生きてゆくのが正解ではないのか。
中国の漢詩の中に「君見よ、双眼の色 語らざれば うれいなきに似たり」と云うのがあるが、これは傍から見ていると何の苦もないように見えても、深く愁いを持っているものであり、ある種の「うつ」を抱えていたブッタはそれを解決しようとして出家した。
親鸞やブッタの教えから、明治から大正にかけて流行した「暗愁」という言葉が戦後の日本ではあまり使われなくなったこと。二葉亭四迷が「ふさぎ虫」の中で暗愁のことを「たましいの奥に誰しも抱えているうれい、寂しさ」と云っていること。 大正天皇は身体が弱かったが、歴代天皇の中で、漢詩を最も多く残されている文人であったこと。
これからは65〜95歳にもなる第3の人生は新しく体験する未体験の人生で、心・体・金も3つが揃わないと残された人生は悲惨なものになってしまう。 特に心の問題をどうするか。どんなに(+)志向しても先が見えている中で(―)志向も大事なことがあるのではないか。
人間は本来は移動するもの(放浪)が本性である。行方不明の高齢者が増えているが、この人間の本性をどう具現化していくのか、現在の老人ホームには、この視点が欠けているように思える。
呼吸は空気を吸うよりも吐く息が大事。溜息は吐きながらするもので、溜息を沢山ついた方が体には良いのではないか。
いろいろと示唆に富んだ有意義な講演会であった。
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