浦 和 散 策
令和元年度の21期交友会の第一陣は地創主催のさいたま市浦和散策でした。6月6日(木)真夏日を思わせる炎天下 ふる伝 6名 美工 6名 地創 14名 合計26名 (当日欠席2名)の参加を得て実施されました。見学場所それぞれに高木さんの素晴らしい説明があり 参加者は大満足でした。浦和駅西口に9時30分集合 地下道を通り西口広場の★詩碑「さいたまの譜」宮澤章二作を読み37年前の埼玉への思いを読み取りました。
★埼玉の3大偉人のレリーフ(渋沢栄一、塙保己一、 荻野吟子)
★ 調神社ではその歴史 格の高さ 規模などを高木さんの説明で実感することができました。鳥居もなかったり 狛犬 ならぬ兎の像のなんと多かったことか。その数は30を超すとも言います。また日蓮聖人の駒つなぎの欅も見学。その他区画整理の碑などから市民の調神社へ寄せる思いも感じました。
★ 玉蔵院・・・いつもあいている山門 境内 本殿 地蔵堂それぞれ門が閉まっており中には入れませんでしたが外から覗き 説明を聞き その素晴らしさを感じ取りました。
★浦和本陣跡・・かつての面影は全くなく小さな公園になっており隣は幼稚園。明治天皇行在所の碑があり氷川神社参拝の時は本陣があり使用された。本陣はないが 脇本陣の子孫は近くにいらっしゃるとのこと。
★常磐公園・・・昭和48年まで「地方裁判所」があったことを物語る赤煉瓦の塀が残る。いまは市民の憩いの場になっている
★2・7市場跡・・・月に2と7の付く日市場が開かれ大変な賑わいだったという。当時の様子を物語る石の社が立って居る。とても珍しいものだと。
★北浦和公園・・かつては浦和中学がありその後埼玉大学があったと。中に入りしばらく進むと「かつての浦校生」の像・・・たか下駄を履いたバンカラの像があった。
それ以外にも色々沿道にある物についての説明もたくさんしていただいた。現存するかつての浦和を思わせる建物石碑だけになっているもの(師範学校跡 浦和一女) 文人 画家の住まいなど。(長谷川かな女
石井桃子 高田さん)自由解散後 多くの人が近代美術館に入館。折からの県展の作品の観賞をしていた。
(記事:萩原、写真:瀧澤)
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